郷士の偉人

芳澤あやめ

元禄から享保年間にかけて一世を風靡した歌舞伎女形役者、芳澤あやめ。日高川町大字高津尾小原で生まれた彼は、芸事に魅せられて村を出たのではあるが、故郷への想いは断ち難く、山里に群生する美しいあやめを思い浮かべて芸名とした。当時の俳優としては最高位の総芸頭となり、「女楠天下太平記」「傾城浅間獄」などが評判であったと伝えられる。芳澤あやめ生誕の地には記念碑が建ち、あやめの花が初夏の日高川町を清楚に彩る。

井原西鶴

「好色五人女」「好色一代男」などの浮世草子の作者として知られる井原西鶴は、日高川町の出身であるということが有力な説となっている。現在に残る西鶴の羽織や自画像に描かれた家紋を調査した結果、いままで言い伝えに過ぎなかった西鶴日高川町出生説が、確かさを帯びてクローズアップされるようになった。日高川町大字三十木には井原家同族会による記念の碑が建ち、独特の筆致で町文化を表現した井原西鶴を偲んでいる。

井原矢之助

江戸中期、中山中組の大庄屋であった井原矢之助は、三十木の里に屋敷を構えたことから三十木矢之助とも呼ばれた。豪放磊落な人柄で知られ人望を集めた矢之助は、日高川の水路開発改良工事など公共事業に一生をささげた。ある公共事業に取り組んだ際、代官に咎められて打ち首となり、38歳の若さで生涯を閉じた。天和3年のことである。彼の偉業は後世に語り継がれ、民話となって現在の日高川町にまで口承されている。

 

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