丹生神社

丹生神社

明治39年に出された「神社合祀令」により、明治42年に丹生村(和佐・江川・山野・松瀬)にあった神社が、丹生神社として統合されました。この丹生神社に伝わる笑い祭は江戸時代から伝承されてきたものです。

毎年体育の日の直前の日曜日に催される「丹生祭」は県無形民俗芸能に指定されており、奇祭「笑い祭」として有名で、先達(鈴振り)が道化た衣装と化粧で町内を「笑え、笑え」と練り歩く光景は、何とも陽気で楽しいものです。

 

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土生八幡神社

土生八幡神社

土生八幡神社は、もとは飛鳥神社(飛鳥明神)だけを祀っていたが、いつの頃のことか小熊地区岡の段に鎮座していた八幡社を遷祀したといわれ、今も両社が並んで祀られている。

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紀道神社

紀道神社

三百瀬の橋をわたり、山道をしばらく歩くとやがて大鳥居が見える。紀道成を祀る地元の信仰を集める紀道神社である。紀伊の国司であった紀道成は、寺院伽藍の造営に使用する建築材を検分するために当地を訪れた。材木を調達し、日高川を筏に乗って下る途中に事故のために命を落としたのであった。造営を志した寺院も道成寺の名で、紀道成を偲ぶことができる。

紀道神社では、毎年体育の日の直前の日曜日に、勇壮な紀道祭が行われる。

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長子八幡神社

長子八幡神社

紀伊風土記によると、かつては小釜本村の小字長子というところに祠があったところから長子八幡神社と呼ばれるとある。この神社は、田尻、高津尾、小釜本、三佐、老星、大又、佐井、坂野川、西原の旧九ヶ所の産土神として、代々村人たちの厚い信仰をうけとめてきた。神社の境内に仏像を安置するという神仏混合時代の形式を残し、歴史の古さをうかがい知ることができる。

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中津郷土文化保存伝習館

中津郷土文化保存伝習館

昭和57年6月に開館した中津郷土文化保存伝習館には、後世に残し伝え続けたい中津地区の貴重な文化財を展示している。伝統民家を復元した鉄骨2階建ての館内には遥か旧石器時代や縄文時代の石器や土器、中津地区の風土や伝統を伝える農具や民具が整然と陳列されている。

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木造十一面菩薩像

画像無し

形状は、蓮台に直立する通規の十一面観音で、中津に伝来する美術工芸品の中で、唯一の県指定文化財である。一木造り、彩色仕上げで、微笑を浮かべた親しみのある個性的な表情と、頭・体の微妙なアンバランスな造形がかもしだす新鮮な感覚が本像の美的特色とされる。11世紀後半の作。

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鷲の川観音堂

鷲の川観音堂

四季折々の趣をみせる鷲の川の滝の近くにある観音堂は、縁起などいっさいが不明であるが、壮大な滝の神々しさとともに訪れる人の信仰心に応えてきたことは想像に難くない。境内には「あら鷲の雨雲はふく風はやみ、岩きる滝の音どよむなり」という江戸時代末期の歌人加納諸平の句碑が建っている。

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下阿田木神社

下阿田木神社

伊弉諾命、伊弉冉命をお祀りしている本殿は、厚板葺の屋根と優美な蟇股がその特色を示し、神社建築としては県内屈指の古い建物である。

1月3日には、年の始めに弓を射ることによって悪魔を祓うお弓神事が行われる。

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上阿田木神社

上阿田木神社

昔は、上愛徳六所権現(かみあたぎろくしょごんげん)と称え、別当寺阿弥陀寺を持つ壮麗な神社だったが、永禄5年(1562)の兵火に焼け、元亀2年(1571)に再建した。そのとき植林した杉桧が成長し、県内でも有名な社叢となった。

4月29日の祭礼は、幟の先端を飾る美しい造花が有名で、一名花祭りと言われている。

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寒川神社

寒川神社

元久元年(1204)に創建され、国常立命の他、二十柱を祀っている。11月3日に行われる祭礼は、江戸中期の宝暦8年(1758)にはじまり、四人立ちの獅子舞は県内でも珍しい舞いである。

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